前夜からの続き
〔経済学者の義務は〕「社会の輿論を導いて、これを無形の名誉裁判所たらしむべく努力しなければならぬ」
「ハテナ博士」は今日の主流派経済学者(新古典派経済学)に投げ返したく思っております。
(アルフレッド・マーシャル「経済騎士道の社会的可能性」より)
銀行業者の機能は本質的に批判的・抑制的・警告的なものであり、・・・政府や政治家や一般大衆にまるで人気がない場合にだけ一人前なのである。(「ハテナ博士」のひとり言・・・銀行全盛期には大衆にこびるようにしていたっけ?)
〔銀行業の盛んなときは〕才能と訓練にどんなに不足している人でも銀行業務に流れこみ、顧客をみつけ、かれ自身考え通り顧客と取引することができるくらいに伝統も基準も欠けていることがある。このような国とか時代とかには、向こう見ずな銀行業がーこれに付随してまた向こう見ずな銀行理論がー発展する。・・・資本主義発展史を転じて、破滅史たらしめるに充分である。
(シュムペーター『景気循環論 I 』より)
経済学への倫理的、歴史的、文化的アプローチの要諦は、文化の要素が今日の経済学・・・においてますます重きをなしてきている。・・・文化が高度に発展すればするほど、精神的ー倫理的根源はますます重要になってくる。即ち、古い経済分析の不完全さは、これらの重要な根源をないがしろにしたことに関係がある。
(P.Koslowski, Ethics in Economics, Business, and Economic PolicyのIntroductionより)
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