前夜からの続き

第76夜から第80夜まで

第76夜 - ジョン・ロー

第2話―ロー銀行の設立

歴史は何が起こるか判らない。「太陽王」ルイ14世が1715年に死んだとき、嗣子はわずか7歳。そこでフランスのオルレアン公が幼い国王の叔父として政府を掌握することになりました。このオルレアン公と親交を得たのが何とローであったから人生は何がどうころぶか摩訶不思議というほかはありません。オルレアン公は金融について殆ど無知であったから、ローを頼ることになってしまいました。まず直面するのがフランスの国家財政の膨大な赤字(太陽王ルイ14世の贅沢三昧のツケ)。ローはこのとき45歳。長年の構想であったペーパーマネーの導入にピタリ、タイミングが一致したのです。そこで、彼の提案は、王国の歳入を管理し、貴金属または土地の裏付けのある紙幣を発行する銀行、つまり「土地銀行」の設立であったのです。こうしてとうとうフランスでペーパーマネー(「ロー銀行」発行の紙幣)が誕生したのです。

第77夜 - ジョン・ロー

第3話―ミシシッピー計画

ローはたしかに賢い男、新しいペーパーマネーは硬貨に兌換され得るとして信用を得たので、紙幣への需要は増大していったのです。何故ならローは、十分な担保の裏付けなしに紙幣を発行する銀行家は誰でも「死罪に値する」と公式に宣言したのであります。次いでローは、フランスの財政赤字、つまり膨大な国債をどうしたら償還できるかを考え出します。フランスはミシシッピー河とルイジアナ州の領有を宣言したが、ここにローは目をつけたのです。植民地貿易を独占する特許会社を設立し、その株式の購入に国債で支払っても良いと提案したのです。そうすれば国債は株式に変わる、つまり国の借金は帳消しとなる!!オルレアン公このローの提案に大喜びしてサインしました。ここまでが「ミシシッピー計画」の舞台ウラ。

第78夜 - ジョン・ロー

第4話―ミシシッピー計画大当たり

この計画は「インド会社」という名前で運営されることになりました。ローは当初この会社の発行済み株式総額1億2500万リーブルに対し、配当総額は5,000万リーブル、つまり年40%の投資収益率を予想しました。ところが、株式購入にはルイ太陽王時代に発行した国債でもよかったのでしたからその額面の2割で国債を購入し株式購入資金に当てました(今日でいうジャンク債ですね)。その結果投資に対する実質利回りは次のように驚くべき数字となったのです。

@投資資金10万リーブルで国債50万リーブルを取得
A50万リーブルで株式50万リーブルを払い込み→年配当予想額50万×40%=20万リーブル
B投資に対する実質利回りは→A/@、即ち、20万÷10万=200%

何と実質利回りが200% !!購入者は直ちに殺到しました。この風景をデンマーク生まれのラース・トゥヴェーデ(Lars Tvede)という人はこんな風に描いております。

”わずか4年前にはフランス中が絶望の淵に沈んでいたというのに、いまでは国全体が事実上歓喜と幸福感で沸き返っているのだ。・・・(中略)・・・パリはどこよりも沸騰していた。この時期、首都の人口は30万5000人も増加したと推計された。街路があまりの混雑のため、どの馬車もまったく動けないことがしばしばだった。パリがこれほどたくさんの美術品、家具や装飾品を世界中から輸入したことはかつてなかったことだ。それも貴族階級に限らず中産階級までだ。信用で株を買った者たちは、数千リーヴルが百万リーヴル以上にも増えることを突然発見した。フランス語の語彙に「百万長者」(millionaires)という新しい単語が加わったのはこのころのことだ。”

(参考:ラース・トゥヴェーデ『信用恐慌の謎』より)

第79夜 - ジョン・ロー

第5話―宴のあと

ところが先に触れたように、抜け目のないカンティロンみたいに利食いのために手仕舞いする人々が出てきました。紙幣を増発すればするほど紙幣を信用しようとせず密かに硬貨に換える動きが出てきます。そして硬貨を退蔵しようとします。紙幣の価値が下がっているのに政府が紙幣の使用を強制させても国民の信頼は得られません。そうするとこんな事をしたのは誰だ!そう、ジョン・ローだ!という非難に変わります。ミシシッピ計画は何なのか?インド会社は?ニューオーリンズに金鉱が出るから採掘しに行こうと画策しても却って不信を買うのみでした。遂に王立銀行は硬貨の支払いを停止します。ジョン・ローも閣僚の座から追われていまいました。ローは今ではフランス中で一番の憎まれ者になってしまいました。そして1729年にヴェネツィアで死にます。58歳、無一文でした。

第80夜 - こぼれ話

ジョン・ローとともにフランスで初めてペーパーマネーを導入したのはオルレアン公の治世下の出来事でありました。ところが最後には失敗してしまいました。でもジョン・ローに関する研究は今も盛んです。その理由はおそらくペーパーマネーの信頼性如何というテーマにあると思われます。

一つのエピソード付け加えましょう。フランスには銀行という名前がありません。フランス全土を調べたわけではありませんが、オルレアン公の時の王立銀行の名、Banque Royale の”banque”は忌み嫌われて今日のフランス銀行の名前は、

"caisse”、とか、”cre' dit”、”socie' te' *、”comptoir” などが使われているのです。

* e' はフランス語のアクサンテギューを表します。

(参考:ラース・トゥヴェーデ『信用恐慌の謎』より)

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