明王院(めいおういん)

鎌倉市十二所(じゆうにそ)

真言宗御室派
飯盛山寛喜寺明王院と号し
鎌倉三十三観音第8番

嘉禎元年(1235)に鎌倉幕府第四代将軍藤原頼経が開基となり、鶴岡八幡宮第六代別当・阿闍梨定豪律師が開山。京都仁和寺末で「鬼門除け不動」と呼ばれ、通称は五大堂明王院。
2月10日に五大堂が落成し、将軍・頼経は北条相模守時房、北条武蔵守泰時、三浦駿河前司義村らを随えて落成式に出席したという。

(注)頼経は、頼朝の姉の血を引いており、四代と五代は藤原氏が、
   第六代から第九代までは天皇家の皇子が将軍なっている。

この寺のある十二所は幕府政所から見て鬼門の方位にあたるため、鎌倉の安泰を願い鬼門除けとして五大不動明王を祀ったという。北条時宗が、文永の役(1274)と公安の役(1281)の時この寺で戦勝祈願をしたと伝わる。

材を左右と天に組んだ冠木門をくぐると、萱葺きの本堂があり、本尊として木像の不動明王を中心に、東に降三世、西に大威徳、南に軍舎利、北に金剛夜叉が鎮座している。不動明王は、武器を持って怒りの顔で外敵から守ってくれる仏で、真言宗では、大日如来の行者として人間の規律には厳しい仏である。毎年1月28日には、本堂の五大明王の前で護摩焚き供養が盛大に行われる。


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