妙本寺(みょうほんじ)

鎌倉市大町1−15ー1


日蓮宗の本山 長興山妙本寺と号す      

この寺は、比企大学三郎能本(ひきだいがくさぶろうよしもと)が開基となり、北条氏に滅ぼされた比企一族の菩提を弔うため、源頼朝の乳母であった比企禅尼の息子能員(よしかず)の屋敷跡に文応元年(1260)に建立し、日蓮聖人の弟子日朗が開山した。「妙本寺方丈」の大きな木札が目に入る。

総門をくぐり、杉の巨木が立ち並ぶ長い参道を進み、石段を上るとその正面に二天門がある。境内正面奥に、本尊として日蓮聖人像を祀る祖師堂(本堂)があり、左手には釈迦如来を祀る霊宝殿がある。浄行菩薩像の自分が病んでいる場所と同じ所をタワシで洗い清めるとご利益があると伝えられ、参詣人の信仰を集めている。境内には日蓮を助けたといわれる帝釈天王の白狐像が祀られ崇敬されている。





境内の右側の天然記念物指定の大銀杏の下に、第二代将軍源頼家、若狭局とその長男、一幡の袖塚と呼ばれる苔むした五輪塔の墓がある。さらに、右手の山際には比企一族の墓と伝わる五輪塔群が立ち並ぶ。奥の墓地には文暦元年(1234)9月27日に32歳で死去した頼経夫人、ヨシ子の墓と伝わる宝篋印塔がある。寺域の左奥には、一幡の死を悲しみ若狭局が身を投げ蛇と化したと伝わる井戸と、その蛇を寺の守護神として祀った「蛇苦止明神」の祠が建っている。



左手の山合いの墓地には、ミッドウエイ沖海戦で、米軍の攻撃を受けた軍艦から部下を全員下ろし、沈んで行く船のブリッジに自らの身体を縛り、運命を共にした艦長の加来止男海軍少将や、明治の日本海々戦で連合艦隊第二艦隊司令長官であった上村彦之丞海軍中将の大きな五輪塔の墓などがある。

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