泉谷山浄光明寺 源頼朝の天下統一を助けた文覚上人が、頼朝の命を受けて建てた寺で、鎌倉第六代執権北条長時が、建長3年(1251)に中興、創建。開山は真聖国師、真阿上人。 山門をくぐると、萩、紫陽花などの木立の中に本殿、その後方のひなびた石段の奥に名木指定のイヌマキの古木が立ち、その傍に永福寺から寛文8年(1668)に移築した鎌倉最古の木造建築の阿弥陀堂がある。 阿弥陀堂の裏の山を上れば大きなやぐらがあり、その中には有形文化財指定の高さ85cm、連坐の高さ30cmほどの石造りの地蔵菩薩像が安置されている。更に、その山頂の一角には、藤谷和歌集」を残した冷泉為相の墓がある。為相は「十六夜日記」を書いた阿仏尼の子で、従二位中納言の位を得て藤谷黄門と呼ばれ、嘉歴3年に没した。徳川光圀寄進と伝わる月巌寺殿玄国渉昌久の宝篋印塔が玉垣の柵に囲まれて建っており、その前に冷泉家門人が贈った正徳巳年(1715)7月17日銘の石灯籠も建っている。 |