銭洗弁財天の境内の左脇にある多くの鳥居をくぐり、山道をさらに進むと住宅街に入る。突き当たった道を右折しそのまま進むと、真紅の織旗が立てかけられた旗が立ち並ぶ数多くの鳥居が見える。その鳥居が、佐助稲荷神社の参道で、緩やかな階段が40段ある。鬱蒼とした杉木立の下には、狐の石像が何体もうずくまっている。更に31段の石段を上ると目の前に拝殿があり、最後に5段の階段を上って拝殿広場に到着する。そして拝殿の右側にある31段の階段を上がると本宮がある。 源頼朝が、伊豆の蛭ケ小島に流されていた時、ある夜ここの稲荷神が翁の姿に化けて現れ「早く兵を起こして平氏を討滅し、天下を統一しなさい。私は鎌倉鎮座の神である。」といって励ましたので、頼朝は鎌倉に入ると、稲荷の神霊に感謝して、佐介山隠里の地を選び、建久年間に畠山重忠に命じて社殿を造らせたという。
佐介というのは、頼朝の官名である佐殿(すけどの)を助けたからだとか、千葉介・三浦介・上総介の三人の介が稲荷社を勧請したからともいわれている。その他に、寛元年間(1243〜46)に光明寺の記主上人が佐助稲荷の使いの白い狐を助けて諸病を治す薬を授かったという伝説もある。
祭神として、宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、大巳貴命、佐田彦命、大姫命(頼朝の長女)、事代主命の五神を祀っている。
お稲荷さまは、全国に約三万社ある。その総本宮は京都の伏見稲荷大社で、主祭神は、宇迦之御魂神。宇迦とは、「食べ物」を意味し、日本人の主食である米の生成をお守りする神である。また、「稲荷」とは、「稲成り」「稲生り」のことで、稲が立派に実り、刈り取った稲を神さまに捧げたところから「稲荷」という字があてられたといわれている。米は一粒植えた稲が殖えてゆくこと、そして日常生活に欠かせない食べ物であるため、農民だけではなく、あらゆる職業の人に信仰されるようになったという。お稲荷さまのお使いは狐で、狛犬は狐の姿をしている。
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