銭洗弁財天(ぜにあらいべんざいてん)

鎌倉市佐助2−25−16

銭洗弁財天宇賀福神社 (通称 銭洗弁財天)

天下安泰を願う源頼朝の夢枕に、文治 元年(1185)、巳の年、巳の月、巳の日の夜、蛇の化身といわれる宇賀福神が現われ、「この水で神仏を供養すれば天下は太平に治まる」というお告げを受けた。岩の間から清水が湧き出るこの地を探しだし、石工に命じて穴ぐらを掘らせ、水の神の宇賀神を祀り、毎日ここの湧き水を運んで供えると天下は次第に安定し、人々の生活も楽になったという。

その後、正嘉元年(1257)に、北条時頼が通貨の銭をここの水で洗えば福銭となり、一家は栄え子孫は繁栄すると自ら持っていた銭を洗った。以来何時ともなく銭洗いの水と呼ばれ、人々が銭を洗って幸福利益を願うようになったという。鎌倉五名水の一つとなっている。

この付近は隠れ里と呼ばれていたところで、祈祷師、鍛冶師、採薬師、修験者などが住んでいたとの伝説があり、切り立った崖に囲まれた狭い境内に弁天堂、左山の中腹に銭洗奥宮、崖下に上之水神宮、堀池の奥に下之水神宮と七福神社が建っている。宇賀福神は水の神で、体は蛇、頭は人間の形をしている。明治の神仏分離令で扇ヶ谷にある八坂神社の末社となり、昭和45年に独立の神社となった。

新編相模風土記には「銭洗弁財天、村の西方佐助谷にある大岩窟という往古夜中に人語あるを聞くに悉く吉事のみで語りし‥‥。」とある。銭洗水でお金を洗うということは、心を清め、不浄の金の塵を払い、福・幸福を授けられるという福神信仰である‥‥と説かれている。

洞窟内の銭洗水でお金を洗うとお金が何倍にも増えるといわれることから、備え付けのザルにお金を入れて銭を洗う人が多い。特に巳の日は霊験あらたかといわれ参詣人の波が途絶えることがない。

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