JJK会館は銀座通りから「みゆき通り」を真っ直ぐに東へ、元東急銀座ホテルの跡地に昨年竣工した時事通信社ビル前に出る。新橋演舞場を右に見ながら采女橋(うねめばし)を渡ると、左角の地下1階地上8階建てビルがJJK会館である。その玄関先から、東は築地の魚市場、南は国立がんセンター、正面は築地川を埋め立てた首都高環状線の銀座入り口である。
 江戸時代と現代を交錯しながら紹介する。江戸時代の采女橋は二の橋とよばれた。埋め立ての築地は築地川、三十間堀など江戸を支える重要な水路と多くの橋があった。采女橋の手前の小公園に、今治藩主・松平采女正の屋敷があったことが記されている。
 昼食時は勤め人と観光客で賑わう。魚河岸的メニューが目に付く。江戸前とは築地、鉄砲州あたりで獲れたウナギの代名詞だったそうである。寿司は上方では押し寿司、江戸では鮓屋与兵衛がにぎり寿司を創作したと河野友美著「たべものと日本人」に記されている。江戸時代は起点の日本橋に魚河岸、その鮮度は短い流通経路、そして江戸3百年の泰平が、勤勉に文化を創出した。昼食メニューを見ながら江戸は築地の豊かな歴史に思いが馳せる。(竹内晃)

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