はじめに:JJK会館は2003年8月、半蔵門ビルから築地の新ビルに移転しました。築地は、ご存知「魚河岸」。青果も扱う東京都中央卸売市場は、JJK会館から歩いて数分のところです。
都市整備計画では、場内市場は豊洲に移転、場外市場は残る予定です。築地は江戸時代に河口を埋め立てて造られました。築地の変貌を、温故知新で訪ね歩いて見ましょう。

築地の歴史は、1657年に花のお江戸の「振袖火事」で焼け野原、その瓦礫を集め、築地の名の由来ともなった築泥(つきひじ)による江戸湾の埋め立て造成に端を発します。 1658年その埋め立て地に西本願寺、武家屋敷、町家等が防火のため強制移転され、俄かに築地の町並みが形成されました。
 江戸は1590年(天正18年)徳川家康が江戸入府、江戸幕府を開いて町づくりは進み18世紀初めには人口百万人突破、当時世界でも屈指の大都市でした。
 江戸城中心に武家屋敷、地域拠点としての神社仏閣、それ等を支えた下町で江戸の町が構成されました。威勢のよい内神田、日本橋、京橋、築地界隈を中心とした商人、職人、生産、流通、百万人の食料と燃料を担う近隣の農漁民たちは、歌舞伎、浮世絵、祭などあらゆる面で創造的に江戸の文化として、戦火なき泰平に恵まれて開花しました。

幕末・明治・大正・昭和・平成の激動期を経て,人口千二百万人の国際都市に発展した東京。その築地界隈をMacro的に、鮪の回遊のように、スケッチと概説による「鮪Macro見聞録」で、ご案内いたします。(竹内 晃)

築地Macro(鮪)見聞録のご案内

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