築地の歴史は、1657年に花のお江戸の「振袖火事」で焼け野原、その瓦礫を集め、築地の名の由来ともなった築泥(つきひじ)による江戸湾の埋め立て造成に端を発します。 1658年その埋め立て地に西本願寺、武家屋敷、町家等が防火のため強制移転され、俄かに築地の町並みが形成されました。
江戸は1590年(天正18年)徳川家康が江戸入府、江戸幕府を開いて町づくりは進み18世紀初めには人口百万人突破、当時世界でも屈指の大都市でした。
江戸城中心に武家屋敷、地域拠点としての神社仏閣、それ等を支えた下町で江戸の町が構成されました。威勢のよい内神田、日本橋、京橋、築地界隈を中心とした商人、職人、生産、流通、百万人の食料と燃料を担う近隣の農漁民たちは、歌舞伎、浮世絵、祭などあらゆる面で創造的に江戸の文化として、戦火なき泰平に恵まれて開花しました。
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