JJK会館を東へ歩くと、市場通り(新川通り)に出る。左角は塀に囲まれ、常時すだれを下げた和風2階家が割烹「新喜楽」である。 ここは日本文学振興会主催の芥川賞・直木賞の選考場所である。芥川賞、直木賞は、文芸春秋社を創業した菊池寛氏が亡き友、芥川龍之介氏と直木三十五氏の業績を称えて昭和10年に創設された。戦後、表彰は新喜楽で例年行われている。第130回の受賞は芥川賞が綿矢りさ氏の「蹴りたい背中」、直木賞が金原ひとみ氏の「蛇にピアス」、何れも受賞史上最年少者で世間をアッと言わせた記憶も新しい。

明治21年、日本橋茅場町にあった「喜楽」がこの地へ移転し、大正2年、現在の「新喜楽」に改名した。江戸時代は旗本の屋敷だったこの場所は、維新後に大隈重信氏が住み、やがて海軍の操練場になり、荒野になるなど幕末から明治の激動期を反映した。女傑だったといわれる初代女将の「喜楽」は伊藤博文、大倉喜八郎など政財界の著名人が出入りされたそうである。
江戸から明治の歴史のこもった築地ならではのこのあたりである。(竹内 晃)

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