前夜からの続き

第346夜から第350夜まで

第346夜 - 飛ぶのをやめたカモ

前夜(345夜)に続きグリフィンの書物から一つの寓話を引用しましょう。それは「盛大なカモの晩餐」と題されたお話です。

ニューイングランドの農民の物語がある。彼の農場のなかには小さな池があった。毎年夏になると野生のカモが池にやってくるのだが、いくらがんばっても農民は一羽も捕まえられなかった。どんなに早起きして近づいても、どんなにうまく遮蔽物をつくって隠れても、どんなに巧みに鳴き声をまねても、どういうわけか賢い鳥たちは危険を察知して逃げてしまう。もちろん、秋になればカモは南へ飛び去り、農民のカモ料理に対する欲求はつのるばかりだった。
 そのとき、いい考えが浮かんだ。早春、農民は池のまわりにトウモロコシをばらまきはじめた。カモはトウモロコシが大好きだし、トウモロコシはいつでもあるので、まもなくカモたちは自力で池に潜って餌を探すのをやめた。しばらくすると農民にも慣れて警戒しなくなった。親切にしてくれると思い、平気でそばへ寄ってくるようになった。安楽な暮らしに、カモは飛ぶことさえ忘れた。だが、それはどうでもよかった。カモたちは飛ぼうとしても湖面から飛び立てないくらい、太ってしまっていた。
 秋になったが、カモは池に留まった。冬が来て、池は凍った。農民はカモが凍えないように小屋をつくってやった。カモは飛ばなくてもすむので幸せだった。農民はもっと幸せだった。長い冬のあいだ、いつもおいしいカモ料理を食べられたからである。

さて、グリフィンはこの寓話から何が言いたかったのでしょう。その答えは次夜で明らかにしましょう。

(参照: グリフィン『マネーを生みだす怪物』 p.551-552. )

第347夜 - カモにされた者、カモにした者

前夜のカモの物語は、実は1930年代のアメリカの大恐慌を比喩的に述べたものです。大恐慌というと直ちに株式市場の暴落、企業破産、銀行破綻などをイメージします。が、グリフィンは違う見方をしているのです。カモにされた者は、農民あるいは国民だった、と言うのです。彼の説はこうです。第一次大戦中は、農産物の価格はかつてなかったほど上昇し、利益も増えました。農民たちはその金の一部で戦時国債を買ったり、農業地帯の銀行に預金しました。この地方銀行に集まった預金を中央銀行である連邦準備銀行(FRS)が吸い上げました。さらには低利で融資もしました。ところが不況が到来するとどうなったでしょうか。地方銀行に大量の不良債権が発生し、また低利で借り入れた農民は借金漬けになります。
「1920年5月・・・・・・農民は非常に豊かだった。・・・・・・借金の返済も進んでいた。政府の勧めで新しくたくさんの土地を・・・・・・そのために借金をして・・・・・・買い入れ、そして1920年に起こった急激な信用収縮と金融引締めで破産した。・・・・・・」
と、時の上院銀行通貨委員会の委員長だったロバート・オウエン議員が報告しています。そしてグリフィンは次のように結論づけるのでした。
信用収縮は農民だけでなく国全体に破壊的な影響をもたらした。だがとくにひどい目にあったのが農民だった。少し前に創設された連邦農業融資公社に低金利の融資で・・・例の池のカモのように・・・誘われて、債務が極端に増えていたからだ。しかもFRSのメンバーだった大都市の銀行は1920年夏にFRSの支援を受けて製造業者や商人への融資を拡大していた。このため多くが不況を乗り切ることができた。だが農民にも地方銀行にもそのような支援はなく、1921年にはドミノ倒しのように次々に倒産した。歴史書には1920〜21年の農業不況と記されているが、ニューヨークのカモ晩餐会と呼んだほうがふさわしいかもしれない。

グリフィンという人の言葉はなかなか辛辣で、ついて行けない点も多々あるかと思いますが、カモにされたのは農民、一般的に言えば弱者を指しています。ではカモにしたのはだあ〜れ?

(グリフィン、同上書、第23章 偉大なカモの晩餐 より)

第348夜 -宝くじの当選金額を買った金額より多くする

以前に(第137夜)「ヘリコプターから金を撒く」という題名で不況時にはお金をいっそヘリコプターからばら撒いてしまえ、というたとえ話をしましたが、今回はそれに増しても劣らない珍説です。1989年にある人が権威ある保守党の金融学者の集まりのとき、宝くじでマネーサプライのベースを拡大してはどうかと提案したのです。これによりますと、政府は宝くじの売上げより多くの当選金を支払うことによって、その余分がマネーサプライの拡大になるというものでした。逆に、マネーサプライを縮小したければ売上げよりも当選金を少なくすればいいと。もっともその方策はマネーサプライの伸びに制度的な歯止めがまったく効かない場合です。こういう話が出てくるということは、人間はマネーをコントロールしようという場合に付きまとうアポリア(難題)を意味していましょう。

(参考: グリフィン、同上書より)

第349夜 - 200年目の改憲

もうかれこれ10年近くも前のことになりますが、阿川尚之という人の『変わらぬアメリカを探して』という書物のなかに次のようなエピソードがあって今も尚印象に残っています。それはアメリカの一青年がたった一人で憲法を改正した話です。
アメリカ合衆国憲法が制定されたのは、1789年でありました。この憲法には12の修正条項があり、そのうち10だけが憲法に組み入られ、2つが残っていました。これを組み入れるには各州の批准が必要でした。当時の全州13州のうち10州の議会による批准を得なければならなかったのですが、実際には同修正案を批准したのは、わずか6州にとどまりました。どうしたことかそのまま長い間放置されたままになっていたのです。そのうちの一つは上下院議員の給与額を変更する法律は、あらかじめ下院選挙が行われない限り有効とならない、というものでした。
1982年、当時21歳のテキサス大学の一学生がこの修正案についてのレポートを書き、必要な数の州議会が批准すれば、憲法の一部になると主張しました。そうしてたった一人で批准を呼びかける運動を全国の州議会に働きかけました。さらに10年後、ようやく一学生の主張が次第に注目を浴びるようになりました。それは、議会のお手盛り、すなわち、上院議員報酬引上げに関するスキャンダルに批判が高まったからでした。そういえば給与増額を制限する憲法修正案があったではないか、それを成立させて議員が勝手にお手盛りするのを防ごうではないか、というわけで、各州の議会が次々と批准し、1992年にとうとう憲法改正に必要な38州の批准が完了してしまいます。司法省もこの修正は有効との見解を示し、この修正第28条が米国憲法に加わったのです。アメリカ憲法が制定されてから、実に200年余の改憲案が一大学生のレポートを発端として実現したのであります。因みに、この大学生のレポートの評点はCだったそうです。

(阿川尚之:『変わらぬアメリカを探して』より)

第350夜 - ヒトゲノムは道徳的特質を解析できるか

ヒトゲノムとは、ヒト(人間)を形づくるために必要な遺伝情報の1組のことで、デオキシリボ核酸(DNA)上に塩基配列の形でおさめられており、その塩基数は全部で31億6000万あるといわれている(エンカルタ総合大百科より)。そしてこの数の解明に向かって研究が続けられています。さて、ヒトゲノムは人間の道徳的な特質まで解明できるか、という問題が当然にして生じてきます。ある論評は以下のように否定的であります。

 ヒトゲノム解析計画は、人類の完全な遺伝学的青写真を提示して、たんにふたりの人どうしの相違点だけでなく、人間と人間以外の他の生物世界の成員とのあいだに潜む奥深い類似点をも明るみに出していく。しかしながら、結局のところ、そうした努力にもかかわらず、[ヒトゲノム解析計画が提起する課題は]・・・・・・われわれ自身の道徳的価値についての認識を・・・・・・人間が還元不可能な道徳的価値を保有していることを再定義することである。

どうやら、この論議を引用するギデンズは、人間の価値を遺伝子操作で変えたりより高い価値に組み替えることには反対なのでしょう。ギデンズは例えば中絶の例をとって、中絶は、胎児に備わる潜在的な創造能力の成就を拒否する、として、「価値があると思われているのは、生存することそれ自体ではなく、一個人がどのような生き方を享受できるかである」と述べています。

「ハテナ」もそのとおりであると考えますが、しかしこれだけ科学が発達してきますと、近未来での人類の誕生は恐ろしい遺伝子操作に影響されそうにも思われるのです。

(参考:アンソニー・ギデンズ『左派右派を超えて』 p.275-6.より)

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