前夜からの続き

第411夜から第415夜まで

第411夜 - 債務語

アメリカではすでに1970年代からデリバティブ(derivative 金融派生商品)の研究文献が出ていました。’70年代というと、有名なニクソンショックが生じたのは1971年(昭和46年)で当時わが国では円高への転換で大騒ぎしたもののデリバティブなどという言葉にはお目にかかれませんでした。それが1980年代には金融商品(フィナンシャル・インストルメント)となり、金融工学というフィナンシャル独自の研究分野となっています。
70年代までは、「負債(デット)」とか「借金がある(オウ)」「返済義務がある(オウト)」などの言葉には何か返済しなけばならぬという道徳的な響きが伴っていました。ところが近年になるとそういった観念を持たない新たな「債務語」がぞくぞくと生まれてきたのです。例えば、ギアリング=他人の金をテコにして自己資本利益率を高めること、レバレッジ=借入によるテコ入れ、ロール・オーバー金融=借金の繰り延べ、リスケジューリング=債務繰り延べ、リストラクチャリング=経営再建策、セキュリタリゼーション=証券化、エクステンデッド・ファシリティ=延長方式などなどで、これではニューマネーもまた単にオールドマネーを高金利にしたものだけの意味合いしかもたなくなってしまいます。サンプソンはある教授の言葉を借りて、「強者は言語を自分の都合のよいように使い、ときには、その言葉を曲解悪用し、弱者の犠牲において、自分の地位を強化してしまうこともある。」と。

(参照:アンソニー・サンプソン『ザ・マネー』p.274-275)

第412夜 - 金持ちが働く

金持ちといえば有閑階級とされ、その対極に労働階級を位置づけるのがこれまでの見方でした。しかし、労働はしんき臭い骨折り仕事と思えたのか、今や金持ちの必要条件となりました。たとえばレジャーはお遊びというものではなく、活動であり、失敗とか失業というイメージは払拭されてきています。また、運動競技は昔は有閑階級にふさわしいと考えられていましたが、今はスポーツとして事業化し金持ちは必死なのです。
かくして、

”明け方に起きて暗くなるまで働くのは貧乏人だった”
から

”今ではこの時間の序列は逆になっている。金持ちは明け方に起きて、貧乏人は遅くまで寝ている”

のです。だから年をとったから仕事から引退なんてどんでもない!70歳以上の金持ちで現役で働いているのはゴマンといるのです。「仕事は楽しみ以上の楽しみ」なのですね。しかしその金持ち仕事はたいていはレジャーとかブランドとかいうイメージを持っているようです。てんてこ舞いで活動している対象がまさにレジャーとは・・・。例えばヨットは相変わらず富のシンボルです。昔は忙しさから一切解放されるところにその魅力がありました。今のヨットには、ヘリコプター、ファックス、PC、携帯等々を有しいやはや何とも忙しいレジャーとなった、と皮肉にもサンプソンは次夜で語ります。

(参照:サンプソン、同上書 p.87-8)

第413夜 - 優雅な生活?

サンプソンは多分に皮肉をこめてオーナーの生活をこう描写しています。

新興成金は1世紀前の百万長者のように、やはり初期の頃の貴族の生活スタイルを想像しては昔を回顧する。18世紀のイギリスの紳士とその大邸宅というと、いまでも執事、図書室、召使い、美術コレクション、舞踏会の揃った幻想的な素晴らしい役割モデルを示してくれる。だが、時間、機動力、能率といった圧力のために、こうした外観も現実から遠く離れてしまっている。図書室があるといっても、大きな取引を話し合うために待っている来訪者に対して、隣室にあるワープロやファックス機械がカタカタ音を立てているなかで印象づけるために置いてあるだけなのである。絵画もすべて原価が算出され、経費で落として帳尻が合うようになっている。・・・・・・

(参照:サンプソン、同上書 p.90-1)

第414夜 - 不合理な狂乱のワナにはまった合理的な男の話

あの偉大なアイザック・ニュートンも南海泡沫事件で、大きな利益を上げた。が、つぎの段階の投機熱には打ち勝てず、さらに多くの株式を購入し、最終的には大暴落によって大損をしたそうです。このような病的な興奮を知人のアレキサンダー・ポープはつぎのようにまとめている、としてサンプソンは以下に引用しています。

 「これはすべて狂気のわざだ」と、まじめで冷静な賢人は叫ぶ。
 だが友よ、いったいだれがその猛威のなかで理性を保てるだろうか。
 「支配的激情なるものが、それがたとえ何であろうとも
 この支配的激情がやはり理性を征服するのだ。」

因みにポープは18世紀前半のイギリスの詩人で、パロディや風刺文学で知られています。

(参照:サンプソン、同上書 p.161)

第415夜 - ミダス・タッチ

現代では、触れたものをことごとく黄金に変える「ミダス・タッチ」を身につけているのは、東アジア人であると指摘するのはサンプソンで、その事例を日本の奇跡に求めます。そして東アジア人は日本という巨大なエンジンに結びつきながら、次第に独自なモーターを築き上げている、と言います。だが西欧は、アジアの発展を解明するのにワンパターンしか持っていない、と。つまりアジアの集団主義的資本主義、つまり集団社会主義の安定性と資本主義の活力が結びついたものだとする見方をします。また強烈な企業忠誠心、強力な勤労倫理、狭隘な住居空間等々。しかしサンプソンはこのような正統的な見方をとりません。「最も力強い推進力は、過去ときっぱり訣別し、心をはずませ未来を迎え入れようという気持ちから出たものであると私は信ずる」というのです。残念ながらサンプソンが見るのと反対に、今の東アジアの風潮は余りにも政治的な動きに左右され過去の歴史に囚われすぎるように思えます。1イギリス人の見たアジアでの進取の気性やアジア人の楽観主義などは残念ながら見失いつつあるように思われてなりません。

(参照:サンプソン、同上書 p.206-7)

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