JJK会館と道を隔て南が国立がんセンター(National CancerCenter)である。築地川に面していた銀座東急ホテルも、白亜の新聞社ビルに建て換わり,どぶ川化した築地川も高速道路に変身して久しい。
戦後日本人の疾病構造が抗生物質の発見などで「感染症」などの死因が大幅に減少した。逆にがん、心臓病、脳血管疾患などの「生活習慣病」の死亡が増えた。がんの増加が予測された1960年に中核をなす総合がんセンターが望まれ、1962年に発足した。同年築地の中央病院が開設、1992年千葉県柏市の東病院が開設、各研究機関も充実された。築地は国立がんセンター中央病院と改称され、近年巨大な病棟が出現したのである。
江戸時代に既に50才を過ぎた伊能忠敬は、全国を足と実測で日本地図を完成した。想像を絶する偉業を敬服と共に1813年作「江戸府内図」を見ると、築地や銀座あたりは埋め立て地で現在の主要道路は掘り割り(水路)を呈し、正に水の都であった。築地は江戸湾の国防と関わりがあって、海軍の発祥の場でもある。幕末は魚市場あたりは榎本武揚が教鞭をとった軍艦操練所の跡地で、国立がんセンター内には海軍医学校と海軍兵学寮跡の石碑が残されている。築地は文字通り江戸時代から近代日本の貴重な歴史が重ねられ、その上に今がある。(竹内晃)
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