JJK会館は2003年8月に築地へ移転した。これを契機に、友の会ホームページのコミュニティ「アルファの会(観劇)」では、歌舞伎座の初春歌舞伎を鑑賞し、秋は芸術祭十月大歌舞伎の鑑賞を予定している。身近でいつでも歌舞伎が観れる感じは、嬉しい限りである。

カブキは「傾き」のi意で「真っ直ぐではない」「勝手気ままに振舞う」などが語源とされている。今から400年前、戦国時代が終わり、戦乱から平和への転換期を迎え浪人達は、自己顕示に駆られていたとある。『当代記』によれば出雲のお国がカブキ踊りで有名になったのはこの頃である。やがて徳川幕府により武家諸法度が発令され、社会秩序を妨げるものとして風俗化が禁止された。一方、1606年江戸城の増築が開始され、現在の歌舞伎座界隈は、木挽き職人の住む木挽町になり、寛永年間には芝居として復活、山村座、河原崎座、森田座などの歌舞伎芝居小屋が建った。山村座は大奥の絵島生島事件で廃座、最も栄えたのは森田座(守田)で、中村、市村座と江戸三座が風靡した。しかし木挽町の興行も天保の改革でやがては浅草へ移転を命じられた。

明治22年(1889)11月に、福地桜痴は三十間堀近くに、2000坪、間口15間、座名をズバリ「歌舞伎座」と定めて、3階建て劇場が完成した。幕末から明治にかけ九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎、初代左団次と共に団・菊・左を頂点に「歌舞伎」が確立された。2005年はパリ、ニューヨークでの歌舞伎興行は、ネオジャパネスク文化の流れのなか、大好評を博した。(竹内 晃)

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