築地明石町は江戸時代に埋め立てによって出来た町である。町名の由来は対岸の佃島を淡路島に見立て明石町と称したとか、明石からの漁業者が移住した等の諸説がある。
その明石町のシンボルともいえる聖路加国際病院は、昭和22年藤山一郎のヒット歌謡曲『夢淡き東京』に「♪柳青める日、つばめが銀座に飛ぶ日・・・かがやく聖路加か・・・♪」として出てくるが、歌は今ではほとんど聴かれない。
「聖路加」の名は新約聖書のルカ(St.Luke)のことで、彼はキリストの弟子の一人、前身は医者であった彼の名を病院名とした、この病院創立の背景が伺えるのである。話は前後するが赤穂浪士でお馴染みの浅野内匠頭の江戸本屋敷跡は、まさにこの地に重なり、その明石町も幕末ごろにはすっかり荒れ果て衰退していたようである。
1902年(明治35年)米国聖公会の宣教医師として来日したルドルフ・トイスラーは築地に小さな診療所を開き、聖路加病院としてその後昭和8年には東洋一の総合病院にまで発展した。さらに日本で唯一の看護の専門教育機関として1920年(大正2年)に設立、戦後は昭和39年に聖路加看護大学となり、現在は大学院も擁している。1992年11階建て全館個室の総合病院が完成し、1994年51階建てのホテルを含めたツインタワービル(SLタワー)が隅田川沿いに聳え、聖路加ガーデンとして今では東京の新しい顔になっている。(竹内晃)
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