勝鬨橋:水上バスで、天気のよい日にのんびりと隅田川21キロ、約30程の橋を見物してみたい。レインボーブリッジをくぐり、河口の南端に架かる「勝鬨橋」は晴海通りで築地と月島、佃島方面を結んでいる。かつては橋の中央部分が、ハの字型に約70度の角度で跳ね橋を演じた其の継ぎ目は、船から見上げれば一筋の光として見えるのであろうか。

現在は全長246m、幅22mの普通の橋。しかし昭和6年に着手され昭和15年6月に完成した当時は、日中戦争の最中で鋼材など資材運搬で3000トン級の船が往来するため日に5回跳ね上げていた。もう一つの目的は昭和16年に東京オリンピックと万博開催を予定していた国威象徴の目玉でもあったが、悲しいかな太平洋戦争勃発のため開催は幻と消え、勝鬨橋を世界にアピールすることなく敗戦、やがて車社会の到来で、昭和45年に遂に開かずの橋となった。

最近では勝鬨を「かちどき」と読めず、その意味も知られなくなった。勝利の「ときの声」であり、凱旋と同じく戦争の勝利の詞である。明治38年の日露戦争で旅順陥落を記念して、対岸の工場に通う労務者の渡し舟につけられた名前である。その『勝どきの渡し』の記念碑は、橋の袂に建てられ、渡し舟に代わった橋が勝鬨橋である。21世紀の月島を結ぶ首都流通のかけがいのない架け橋である。(竹内 晃)

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