築地市場通りに面したインド風のお寺は、「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」いわゆる築地本願寺である。
江戸幕府を開いて間もない1617年に西本願寺の別院として、第12代の宗主准如上人が浅草の横山町に建立し,
江戸浅草御坊と親しまれていた。1657年(明暦3年)振り袖火事で焼失、幕府は火除け区画整理を断行し、旧地での再建は許さず代替地を八丁堀の海上と指定した。しかし海上では不便なため、佃島の門徒達が埋め立て、現在地で再建し築地御坊と親しまれた。「江戸切り絵図」では当時の本堂は西南を向き、現在の場外市場あたりは本願寺門前町として賑わったようである。
その本願寺も、関東大震災で本堂を焼失した。現在の建物は、東京(帝国)大学工学部教授の伊藤忠太博士が昭和6年に古代インド様式を取り入れて設計し3年がかりで竣工した。本堂内は、外観と異なり桃山様式で、1970年お寺では珍しいドイツのヴァルカー社製2,000管のパイプオルガンも設置され、時には無料公開でランチタイムコンサートが鑑賞できる。伊藤博士は「造家学」と呼ばれた呼称を「建築学」と改めた日本の建築史学創始者である。鬼面の彫刻が階段手すりを口から吐き出す造形など、こどものような好奇心と自由さはユニークである。(竹内晃)
築地Macro(鮪)見聞録へ戻る