築地の場外市場は晴海通りの西側、つまり波除神社と海幸門の北東側、200米四方の中に約500の店舗がぎっしりと軒を並べている。プロも一般客も関係なく早朝から夕方まで買い物できる。月末の金曜日は、築地で魚の昼食を頂き、本願寺で無料(無量)のパイプオルガン演奏ランチタイムコンサートを40分ほど静かに聴き入り、そして元気な市場で買い物して帰る楽しさは、こたえられないに相違ない。
 食料品にかかわらず、おせち作りの道具類や陶器類、包丁の研ぎやのサービスもあって、エスニックな上野のアメ横とは違う築地ならではの雰囲気がある。
 歴史は江戸幕府に遡り、先ず献上用の魚獲り攝津の漁師たちが佃島に集められ、少し店も開かれたようである。しかし仲買人の築地市場のルーツは日本橋の幕府公認の魚河岸に端を発している。築地も本願寺が建立されると、門前町として賑わい、やがて松平家の敷地に軍艦操練所が出来て、船着場に幕府の軍艦が横付けされ、明治に海軍兵学校として広島の江田島に移転し、やがて震災後の1935年、その跡地7万坪は築地の市場として「場内・場外」に分かれ開設され現在に至ったのである。

 その築地市場も流通の変化と排ガス問題等を理由に、2012年には場内は江東区の豊洲への移転話があり、地元は猛反対を続けている。移転先の都市ガスの跡地は、環境基準値の1500倍ものベンゼン等で汚染されているそうで、後世のため、安全第一を期してもらいたい。食通が鮨屋等のプロに紛れ早朝に築地で買出した手柄話は、今でも語り草である。(竹内晃)
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