前夜からの続き

第326夜から第330夜まで

第326夜 - 歴史の相対化

以前に(第106夜222夜290夜)、E・H・カーの『歴史とは何か』を紹介しましたが、そのなかでご承知のとおりカーは、歴史とは過去と現在との対話である、と述べました。これはある意味では歴史を現代的関心による歴史の再構成であるといえます。というのは現代的観点を常に相対化していくことが必要だと言っていることにほかなりません。言い換えればそのことは歴史上の事実を積み上げてそれを編集するような歴史に対する批判とも言えるからです。多くの事実を捨て去り選択するものは何かを問うたものであります。絶対的な権力は絶対的に腐敗する、との名言を残したジョン・アクトンは、存在する資料は常に不完全である、それ故に、彼は歴史を書かなかったし、むしろ書かなかったことに誇りさえ持っていた、といわれています。余談ですが、この偉大なアクトンが本当に何も書かなかったのか、歴史以外に書いたものは?と疑問を持っていた「ハテナ」は、古本屋でアクトン著作集の膨大な3巻本を見つけ大枚を払って購入しました。読めもしないのに我が家の本棚にその美本が鎮座しています。参考までに、Selected Writings of Lord Acton, Essays in the History of Liverty, Vol. I,II,III. by John Emerich Edward Dalbert-Acton First Bavon Acton, edited by J.Rufus Fears で通算1800ページに達する大著です。

第327夜 - ジャーナリストの責任

例えば、刺客、チルドレン等々小泉劇場が流行語大賞になるなど、その多くはマスコミのかっこうの材料として騒がれており、幸か不幸かわたしたちは、一般にマスコミを通してしかそれらの姿を知ることができないのです。そうなるとジャーナリストの責任は極めて大きいと言わざるをえません。古典中の古典であるマックス・ヴェーバーの『職業としての政治』のなかで、ジャーナリストの責任について次のような言及がなされていることも振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。

・・・・・・本当にすぐれたジャーナリストの仕事には、学者の仕事と少なくとも同等の 「才能」ガイスト が要求されるということー職業がら彼らは命じられればその場で記事を書き、まったく違った執筆条件の下でも間髪を入れず活動しなければならないところから、とくに右のことが言えるのだがーこのことは誰にも分かっているとは言えない。ジャーナリストの責任の方が学者よりはるかに大きく、責任感の点でも、誠実なジャーナリストになると、平均的にみて学者にいささかも劣るものではなく、−戦争の経験からも分かるようにー勝ってさえいるということ、この点もほとんど無視されている。それも当然で、無責任なジャーナリストの仕事がこれまでしばしば恐ろしい結果を生んだため、それが記憶にこびりついているからである。さらに慎重さの点でも、有能なジャーナリストになると、他の人々より平均してずっと上だということ、これも誰も信じないが事実である。この職業には他とまったく比べものにならないくらい大きな誘惑がつきまとっているし、その他にも現代のジャーナリストの仕事に特有な条件が色々あって、世間では、軽蔑と、いとも哀れっぽい臆病さの入り混じった目で新聞を眺める癖がついている。

また、ヴェーバーの他の著『職業としての学問』では、ゲーテの『ファウスト』のセリフ(メフィストフェレス)を引用して、

・・・・・・気をつけろ、悪魔は年取っている。だから悪魔を理解するにはお前も年取っていなくてはならぬ。

熟年の域を通り越したわたくしたちでも、その持てる叡智と経験は今も十分に必要ではないでしょうか。

(マックス・ヴェーバー:『職業としての政治』岩波文庫p.43-44 『職業としての学問』同文庫p.65.)

第328夜 -情熱と責任感と判断力

さらにヴェーバーの政治家論を見ていきましょう。この三つのキーワードが政治家の重要な資質と論じられています。ではこの三つの資質がどのように関連し合っているのでしょうか。ヴェーバーは言います。

・・・実際、どんなに純粋に感じられた情熱であっても、単なる情熱だけでは充分でない。情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力ーこれは政治家の決定的な心理的資質であるーが必要である。すなわち精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。「距離を失ってしまうこと」はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の一つである。

(ヴェーバー:『職業としての政治』 岩波文庫p.77-8.)

第329夜 - 公平な観察者

自己愛が自身の欲望を単に満足させるためのものであっては、道徳として存立できません。アダム・スミスが自己愛を貫くことで社会の調和を説いたのは、その根底にかかる自己愛が客観性を持たなくてはならないからでしょう。この問題をはじめに持ち出したのはデヴィッド・ヒュームでした。彼は、もし単に、個々人が、かれ自身の快苦にのみ従うものであるとするならば、かれはどうして他者に袂を与える行為を承認しようとするのか?と問い、それは諸個人の良心が互いに孤立化されていないからであると答え、それを同感と呼びました。また社会的に統一され形成されるのであるから、これを”交通の原理”とも呼びました。この議論はヒュームの『人間本性論』に著されています。
この同感もしくは交通の原理は、引き続きアダム・スミスによって展開されていきます。スミスは、この道徳感情を共感という原理によって客観化しようとします。同感は決して利己的な原理と看做されえない、と主張して公平な観察者を持ち出します。同感のなかには、偶発的、偶然的なものもあり、それらは一瞬にして消えたり、あるいは対立する同感もあるではないか、という可能性もありえましょう。しかし全体としてみれば、同感的現象には個々では見出すことのできない安定性が存在するのです。このような同感の恒久的な安定性を探しうるのがスミスのいう公平な観察者なのです。つまり諸個人の利害と社会の利害との調和は、同感の原理と、公平な観察者によって図られるとして、スミスは『国富論』の中に、経済的調和を前提に置いたのでありました。

(参考:G・R・モロウ『アダム・スミスにおける倫理と経済)

第330夜 - ハリケーン

2005年に南米を襲ったハリケーン(hurricane)は、恐ろしい自然災害であると共に被災した住民の貧富の差をまざまざと見せつける悲惨な出来事でありました。「ハテナ」が初めて訪れたニュオーリンズは、ディキシーランドジャズの発祥の地として、街中がジャズのリズムで溢れる独特の雰囲気に圧倒され、アメリカのなかで一番印象に残る街でしたが、その街も壊滅状態になって、胸を痛めています。近接するカリブ海地域は過去にもとてつもないハリケーンが襲来しており、そのなかに1772年8月31日に襲ったハリケーンの模様を描いた一人の若者の記事が載っていました。「まるで自然の崩壊が起きているかのようだった。海と風はうなり、赤々と輝く流星が空を飛び交い、稲妻はほとんど絶え間なくまがまがしい閃光を放ち続け、倒壊した家々が打ち砕かれ、嘆き苦しむ者の悲鳴が耳をつんざく。天使をも驚かせてしまうほどだった」。そして以下のようなメタファーで裕福な者に富を分け与えよ、と勧告しているのです。

死は勝ち誇って襲いかかってくる。・・・死の仮借なき大鎌は、狙いを定め振り下ろされるばかりになっている。・・・おお汝、富におぼれる者よ、人類の苦しみを見て、苦しみを和らげるために余分を用いよ。・・・悩み苦しむ者に救いの手を差し伸べ、天国の富を蓄えよ。

この投稿主こそ、その後、アメリカ建国の非凡な政治家として波乱の人生を送ったアレグザンダー・ハミルトンその人でありました。彼はそのときわずか17歳で、カリブ海南部の独学の事務員であり、悲惨な出生から身を起こし、アメリカを近代国家につくり上げた天才政治家の若き姿だったのです。

(参照:ロン・チャーナウ『アレグザンダー・ハミルトン伝』上 より)

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